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「学問を学ぶ」だけじゃなく

​「心と体の健康」を取り戻しました

「学問を学ぶ」だけじゃなく

​「心と体の健康」を

取り戻しました

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崎戸 結衣さん

HSUは、教員と学生が一体となって学問を探究するのみならず、学生一人ひとりのケアにも心を配っています。ここでは、長年「過食嘔吐」に悩まされ、一時は自殺まで試みようとした一人の学生が​その心と体の健康を取り戻すまでの歩みをご紹介します。

HSUは、教員と学生が一体となって学問を探究するのみならず、

学生一人ひとりのケアにも心を配っています。

ここでは、長年「過食嘔吐」に悩まされ、一時は自殺まで試みようとした一人の学生が

​その心と体の健康を取り戻すまでの歩みをご紹介します。

「両親の期待に何とか答えなくちゃ」

(私は、勉強も運動もできない、「価値のない子」なんだ・・・)

 

今から5年ほど前の私は、こんな考えにとらわれながら、自宅で寝たきりの生活を送っていました。原因は、高校に通っていた18歳ごろから始まった摂食障害の一つ「過食嘔吐」にありました。お腹が空いて、ひとたび何かを口にすると、歯止めが利かなくなり、次の料理に延ばす手が止まらない。しかし、女性の体でたくさんの物を受け付けられるはずもありません。一定量を超えると一気に戻してしまい、あとに残るのは、弱った身体と空腹感ばかり。その発端は、高校での躓きにありました。

埼玉県に4人兄弟の第一子として生まれた私は、幼いころから教育熱心な両親によって育てられました。実家は、それほど裕福ではありませんでしたが、両親は懸命に働いて、私を東京の中高一貫、いわゆる“お嬢様学校”に行かせてくれたのです。

(両親の期待に、何とか答えなくっちゃ)

中学校に進学した私はそんな決意を固め、「優等生」であろうと努力し続けました。学業は常に成績上位、運動にも熱を入れ、部活はおろか体育祭やマラソン大会でも活躍しました。そんな私の姿に、両親はとても喜んでくれたのです。経済的に余裕のある家庭ではないにもかかわらず、「いい学校」に通わせてもらをっていることに、一抹の良心の痛みを感じていた私にとって、勉強や運動で「成果」を出すことは、ある意味で“罪滅ぼし”をしていた面があったのかもしれません。

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「優等生」からの転落

しかし、中学卒業を機に、状況が変わってしまったのです。系列の学校に進学すると、私は「選抜コース」という有名大学を目指す人たちが集まるクラスに振り分けられました。周りは、家柄がよく頭もいい、いわゆる「お嬢様」ばかり。いつの間にか成績は普通以下の水準になり、部活も辞めてしまいました。

(せっかくいい学校に行かせてもらってるのに、何してるんだろう・・・!)そう自分を責める反面、(もう無理!学校なんか行きたくない!)という強い思いも、胸の中に渦巻くようになっていったのです。とはいえこんな悩み、家族に相談できるはずもありません。何も打ち明けられず、全部自分の中に閉じ込めて、「どうしたらいいんだろう」と悶々としていました。

​そんな時、テレビで、「現代の闇 過食嘔吐」といったような番組を、ふと目にしたのです。その瞬間から、「これだ!これなら学校行かなくても済むんだ」と思ってしまったのです。次の日の朝、テレビの内容を再現するために、朝ご飯の後で喉に指を突っ込み、戻してみたのです。すると思いのほかスッキリしたのと、家族が心配してくれたのとで、“爽快感”を覚え、次第にのめり込んでいきました。

その嘔吐は癖になり、回数も一日に2度、3度と増えていきました。必然的に高校も休みがちになり、何とか卒業はしたものの、その後入った専門学校もわずか1ヶ月で中退。どこにも行かないで、一日中家で寝ているだけの生活になりました。

​しかし、そうであってもお腹はすきました。ただでさえ嘔吐すると疲れるので、食事量は日ましに増えていきました。普通の人なら一度に食べようとすら思わない量の料理を作って食べて、食べては戻すという悪循環に陥りました。体重もどんどん減っていき、20歳を前にして生命維持に危険が及ぶと言われる20キロ台に突入しました。

見かねた両親が、私を入院させたのは、20歳の時でした。退院の条件は「30キロ台を回復すること」。しかし病院で寝ていると「死ね」「過食嘔吐しろ」という二種類の幻聴が聞こえてきて、ずっとその言葉が頭の中でグルグルと回るのです。耐えられなくなって何度も自殺を試みたこともあり、遂には隔離病棟に入れられて腕と足を拘束されていたこともありました。

 

体重は、最もひどい時期には23キロにまで落ち込んでいました。しかし病院の規定により、最長で3ヶ月しか入院することはできず、結局私は入退院を3回繰り返しました。しかし、最後まで過食嘔吐は止まることはありませんでした。

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一縷の望み

(もう普通のところじゃ無理・・・。神仏のそばで治してみたい。聖なる空間にひたりたい)

3度目の退院をして1週間が経った時のこと。昔から幸福の科学の信者だった私は、藁をもすがるような思いで、そんなことを考えていました。これ以上、別の病院に行っても、また同じことを繰り返すだけのような気がしていたのです。

行き先を、幸福の科学の研修・参拝施設である東京正心館に決め、片道1時間の電車に乗って通うことにしたのです。朝7時過ぎに自宅を出て、朝の祈りに参加し、そのまま礼拝堂で心を落ち着ける毎日。そのうち、知り合いになった信者さんからボランティアに誘われ、できることに限ってお手伝いをするようにもなりました。

ボランティアの内容は、お野菜を切ったり、お鍋を洗ったり、作務(掃除)をさせてもらったり。時間ができると、同じくボランティアに参加される信者さんたちと、みんなで一緒にお茶をしたり。そんなゆったりとした時間は、ついこの間まで病室のベッドの上で送っていた殺伐としたかつてとは、正反対のものでした。すると、ふと、あることが心をよぎったのです。

(今まで私は、自分のことを「人より劣っている」とか「結果が出なかったら価値がない」とか思ってたけど、そうじゃないんだな。私がこうしているだけでも、受け入れてくれる人って、いるんだな・・・)

​不思議なことに、東京正心館に通うようになってから、過食嘔吐の回数は週に2、3回にまで減っていきました。

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「こんな私でも、神様は愛してくれている」

「HSU、2015年春開学」というイイシラセを聞いたのは、そんな時でした。

(HSUなら、朝、目が覚めると同時に、神様のために生きれるんだ。一日中、神様に尽くして生きるっていう生活が、HSUに行ったら叶うんだ)

 

そこで、母にHSUへの進学希望を話し、1年間勉強して、高校までの内容を復習し、2016年4月、念願の学び舎の一員となることができました。

授業では、大川隆法総裁先生の教えが学べる科目を優先的に取っていきました。特に感動したのは、総裁先生の御法話『The Real Buddha and New Hope』を拝聴した時でした。「I hope you all be happier and happier(あなた方すべてが、もっともっと幸福になることを願っています)」―。

(私はかつて、自分のことを「成果が出ない子」「駄目な子」だと思っていても、神様はそんな私でも愛してくれていて、私の幸福を祈っていてくれるんだな。自分は、「いてはいけない駄目な子」じゃないんだな)

​そういう思いがこみ上げてくると、自然と涙が溢れてきたのです。

また、礼拝堂でお祈りしていると、穏やかな気持ちが満ちてきて、自然にこう思えたのです。

(自分が怖がっているもの、恐れていること、すべて神様に一旦お預けしよう。そして神様の懐のなかで思いっきり感謝して、そして少しでも自分ができることを人に恩返しして行こう)

すると不思議と体中が熱くなってきて、それまでは夏でも冷え切っていた手足の指先にまで、温もりが満ちていったのを感じました。

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心に宿る夢

気づくと、HSU入学前でも時折出ていた過食嘔吐の症状も完全になくなり、体重も30キロ台を回復しました。今春はインドやネパールに行って、幸福の科学の海外伝道の現場を見るまでにもなったのです。昔の私を知る人からすると、「普通の人ですらお腹を壊すようなところに、結衣ちゃんが行ったなんて・・・」とびっくりされます。私はこのHSUで、心と体の健康を取り戻せたのです。

そして今、私には、一つの夢が見つかりました。私を立て直したこの教えを、全世界に広めたい。そう遠くない、いつか、海外伝道に従事して、私のように苦しむ人に、「大丈夫だよ。ここに神さまがいるよ」って声をかけてあげたい―。

​そんな夢を心に宿しながら、私は今、HSUで勉学に、心の修行に勤しむ日々を送っています。

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